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"2020年の"青春シンデレラストーリー - 映画「ハニーレモンソーダ」感想

movies.shochiku.co.jp

公開2日目、公開記念舞台挨拶ライブビューイングに行ってきました

 

 

あらすじ

中学時代“石”と呼ばれていた自分を変えるため、
自由な高校に入学した石森羽花(吉川愛)。
そこで出会ったのはレモン色の髪をした三浦界(ラウール)。
実は彼こそが、その高校を選んだ理由だった。
クールで自由奔放、基本塩対応なのに人気者の界。
彼はなぜか自分を “石森係” と呼び、羽花の世話を焼いてくれるように。
距離が近づいた二人は想いを伝え合い、幸せな毎日を送っていたが
実は、界には羽花に伝えられていない秘密があって…

 

▼Snow Manラウールは人見知り、でも「変わりたくはない。これが“本当の自分”」 (1/3) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

演技経験の少なさに恐縮しすぎることなく、「僕なんかにはわかりません」と素直に答える姿が誠実で好きな記事

 

映画化を知る前から原作漫画を緩く読んでいたのでどのシーンが切り取られるかな~と思っていたら、期待していたシーンが描かれないどころか言及すらされておらず、監督との趣味の違いに切なくなるなどした…。でも総じて楽しい映画でした。ラウールくんめちゃよかったです。以下感想。

ラウールくん

界くん、よかったです!

羽花ちゃんのお顔を軽く覆ってしまう大きな手とばさばさまつ毛が素敵。撮影当時17歳という生身の説得力とビジュアルの強さは言わずもがなとして、大人びた表情とあどけなさのギャップは役を纏わないラウールくんからも常々感じるところではあるけれども、それを「自在に使いこなしている」事実に改めてぎょっとする。

公開前からあらゆるところで露出していたザ・胸キュン仕草の中では芹奈の友達を諌める「ダサい石森に怒られてるの見苦しいよ、自覚ある?」のとき 平然と頭を抱いておられる姿が非常に「てぇてぇ」。 17歳ラウールくんのキスシーンをスクリーンで目撃したことに驚きつつ、これを目黒蓮と練習されたのね…と連想するなどしておりました。

界くん、家では一人になってしまうから、備品倉庫で羽花ちゃんと過ごす時間が癒やしだったんだね~というのがよく伝わる穏やかな表情を見られたのが嬉しかったです。これからもちょこちょこ演技する姿見られたら嬉しいな~。

HELLO HELLO

ラストシーンに被さる形でハロハロのオーケストレーションが流れ、そして聴き慣れたイントロへ…というくだりで泣いてしまった。オーケストラありverの音源ほしい。

エンドロール、しんみりする気持ちになるのかなと思いきや、最後の最後までキュンを詰め込んでくださって曲を楽しむどころではなかった。

羽花パパエピソード入れてほしかったよ~(めそめそ)

もともとこの漫画にぐっときていたのは「超過保護に育てられたゆえに"石"で居続けることを選んできた羽花ちゃんの親離れ&父親の子離れ」のくだりと、毛嫌いされていた界くんが羽花父とまっとうにコミュニケーションを取り信頼関係を築いていくところ。なので父のエピソードが削られるどころか影も形もなかったのでびっくりした。

なまじ羽花が自室で過ごすシーンは度々出てきて豊かな暮らしが窺えるだけに、保護者の描写が一切ないのちょっと不自然では…?  バッドエンド慣れした友人は「羽花ちゃんも家族と死別している」と想定したようだし。

われわれが不幸に馴らされきっているだけなのかもしれんが…

 

いじめられていたことを親にすら言えなかった事実を踏まえてこそ最初の胸キュンポイント「助けて」→「困ったら俺に言え」が活きるんですよ~~~  親には言えなかったのにね、って。親への皮肉としても効くし。

同時に、(あまり褒められた強さではないという前提で)いじめられていたことを親には隠し抜き、気丈に振る舞い続けた羽花ちゃんのひたむきさ、気持ちの強さなど、界から"宝石"と評されるに足るポテンシャルを示すにあたって効率のよいエピソードだと思うんだけどな…。

羽花ちゃんが過保護すぎる父親に「NO」を突きつけるシーンや、自身の特技イラストを活かしてクラスに馴染んでいく体育祭シーン、羽花が自分から積極的にいじめっこに立ち向かうシーンあたりの描写がゼロなのが私には痛かった。これじゃあ、中学時代に界と羽花が出会っていた事実があるとはいえ、運よくカースト上位グループに入れてもらえたラッキーガールとだけ見えてしまうのも仕方ないのでは。

ちなみに映画では羽花ちゃんが絵を描いてるところが回収されなかったのも残念。一問一答問題集のデコレーションで活かされたと読むこともできるか?原作どおりとは言わないまでもせめて、クリスマスパーティーで全員に似顔絵プレゼントして絆を深めるくらいの回収はしてほしかった。

羽花には、界との出会いをきっかけに過保護な親とのコミュニケーション不全という問題に気づき、友達の力を借りながらも自分の意思で親に抵抗するという象徴的なエピソードがあるのに、映画だけみるといじめられ体質(そんなものはないが)を脱却するには王子様に見初められるしかないのか…?と感じずにはいられない、シンデレラストーリーっぽさが増している。

いじめっこにも親にも、嫌なものは嫌だと言っていいんだぜ、というメッセージが込められている原作だと理解しているので、せっかくの映画化でその要素が失われてしまったのが残念。

重要キャラクター「キリンレモン

KIRINの主張が強すぎるのがいっそ新鮮で面白くなってきちゃって、界の看病シーンで2L生茶ペットボトルが登場したときはもはや沸いた。見つけきれなかったけど界のバイト先にも実はKIRINが潜んでたりしたのだろうか…

冒頭、登場人物紹介の4分割カット割りのうちにキリンレモンが割り当てられたのなんかいくらなんでもやりすぎでは。もはや最重要キャラクターの扱い。

「2020年」と示された意味

夏祭りのポスターで作中世界が「2020年」であることが示されたことに結構ウッ…となってしまった。マスクをせずに済み、休校になることもない「普通の高校生活」は2020年の神奈川には存在していない。「コロナ禍のない2020年」を描いた以上if世界を描いたSFということになる。そしてそう描かれた意味を探ろうとしたのだが特に何も見出だせなかった…割とこの点悲しく思っている。

「コロナのせいで青春を奪われた若者たちに向けて」とか「ぐだぐだな対策に終始している政権批判」とか、何かしら「2020年」設定に秘められたメッセージがあるのだろうかと考えてみたけどなにかあるのかな。わたしが気づけなかっただけなら知りたい。もしくは現役高校生の感想を聞いてみたい。

コロナ禍前の撮影ならまだしも、まさに2020年夏の制作だからな…。わざわざ「コロナがなかったif世界の2020年」を明示する必要性がないと感じた以上、わたしは時間軸はぼかしてもらえたほうが余計なこと考えずに見れたな。

まあ描かれなかったからといって「現代時空の高校生活」を描く以上同様の追求からは逃れられないわけだが、そうだとしてもやはり明確な2020年提示があるのとないのとでは印象が違うと思う。「MIU404」を味わってしまっているから贅沢になってしまっているのか…?という気もするが、いやいやそこはなんとなくで済まさず、敢えて示す意味合いを考えてくれよ、と思ってしまうので書いた。

もしくはいっそ「2021年」と示してくれていたら、「まあそりゃ2020年の夏時点では2021年夏はすでにコロナ収束するはずと思ってたよね…」と感じられてそれはそれで味わい深かったかもしれない。

おまけの概念コーデ