我慢は体に悪いので

なにを言うにも口数が多い

「7日後に死ぬ普通の男」とそいつを好きな男 - 「ジーザス・クライスト=スーパースター in コンサート」初日公演感想(1幕)

theatre-orb.com

 

2021年7月12日、初日公演を観劇。

初来日公演、初JCS、初マイケル・K・リー、初ラミン・カリムルーなどなど初めて尽くし。

 

 

f:id:snackshk:20210715094503j:plain


あらすじ

聖書が原作の2.5次元ミュージカルだと思っていたらマイケル・K・リーさまも似たようなことを仰っていた。光栄。

親友たちのドラマとしての『ジーザス・クライスト=スーパースター』 - Musical Theater Japan

マイケル・K・リーさまから「鬼滅の刃」が出てくるとは。鬼滅、舞台化してるよ!

kimetsu.com

 

以下劇団四季公式HPより

この作品は、イエス・キリストジーザス・クライスト)が十字架にかけられるまでの最後の7日間を描いたミュージカルである。

今からおよそ2000年前、ローマ帝国領のパレスチナに一人の青年が現れた。

大工の息子ジーザスは、人々に新しい教えをとき、数々の奇跡を起こしているという。 圧政に苦しんでいた民衆たちは、たちまちジーザスの言葉に耳を傾けるようになり、彼こそ「救い主」「神の子」と讃える。

弟子の一人、イスカリオテのユダにとってジーザスは「神の子」ではなかった。
ジーザスを愛するユダには「全て御心のまま」という師の真意が理解できない。
マグダラのマリアもまたジーザスを愛していた。

彼女は、かげりの無い、純粋で献身的な愛をジーザスに注ぐ。

ジーザスが「ただの人」だと露見したとき、人々はそれを許すはずが無い。 彼らの怒りによってジーザスは押しつぶされてしまうだろう。 そう予感していたユダは、師ジーザスを裏切る決心をする。

『ジーザス・クライスト=スーパースター』作品紹介|劇団四季

 

弟子の一人、イスカリオテのユダにとってジーザスは「神の子」ではなかった。
ジーザスを愛するユダには「全て御心のまま」という師の真意が理解できない。

 

わたしがこれから書こうとしていたことがあっさりまとめられていた。そういうことです。拝。

 

舞台美術

f:id:snackshk:20210713003639p:plain

https://spice.eplus.jp/articles/289940

JCSでよく見るパイプで組まれた舞台。マンションのようになっており上下左右に音楽隊が散らばっている。期待が高まる中聴こえるOvertuneのギターソロ。オケはキーボードの音がやけに軽かったりラッパが外しがちだったりやや物足りなかったけど、ギターが終始楽しそうでよかった。声出したくなっちゃう。

一幕

Heaven On Their Minds

ジーザスがあまりにも民から人気を集めてて心配、おい、あんまり目立つと潰されるぞ、「神の子だ」なんて崇められてお前調子に乗ってんじゃないの?いい加減目を覚ませ、俺の話を聞けよ!の曲。ユダのソロ。

誰も味方してくれないどころか(なんだこいつ…)という目で見てくる民や他の弟子たちにキレ気味のユダ。不貞腐れてるのか拗ねてるのか判別しがたいが、ユダが好き(※広義)になった頃の野心や目標を失ってしまった(ように見える)ジーザスにやきもきしているんだろう。

この時点で、「ジーザスを救いたい」≒「ジーザスが死ぬ運命を悟っている」ようには見えない。道を外しかけている(ように見える)ジーザスと盲目に崇める民衆を諌めてるユダ。

What's The Buzz? / Strange Thing, Mystifying

「ローマなんて別に怖くないっしょ!イスラエルいつ行く?ヤバいって噂?いやいや関係ないすよ~ジーザスならいけますって!」と盛り上がる弟子たちに「こいつらマジで何もわかっとらん」と失望するジーザス。超塩対応だがさもありなん。

マグダラのマリアに癒されるジーザスを「女に入れあげてる場合じゃないだろ、彼女が娼婦であることは構わんがそんなことで外野から足を引っ張られるのも馬鹿らしいじゃねえか、いい加減にしろ」と咎めるも「お前に何がわかる!?」と逆ギレされるユダ。かわいそう。

Everything's Alright

マリアがジーザスに「大丈夫、落ち着いて目を閉じて、香油を塗ってあげるわ」と慰めていたところに、ユダが「その高価な香油を買う金があれば貧しい者を救えたのに!」と話しかければジーザスはまたキレる。「持たぬ者を救えるとほざくなどお前も偉くなったものだな!?」「俺がいなくなる前に自分で考えて動けるようになっておくんだな!」と捨て台詞すら吐く。

このあたりのジーザス、全然神っぽくない。ジーザスは自分が死ぬこと、これから起こることを知ってはいても全然受け入れてはいない。「7日後に死ぬ普通の男」。2階席最後列と遠かったせいもあるのか、この時点では抜きん出てたカリスマ性はそこまで感じない。気性が荒くて歌のうまい、教祖業に従事する「人間」。

そんなジーザスからキレられたユダははっきり傷ついた顔をする。「あなたの右腕の俺よりその女が大事なんですか」の読み解きは即物的すぎるため取り下げるとしても、「俺が愛したはずの、慈愛に満ちたジーザスに戻ることはもうないのだ」と感じてがっかりしたのかもしれんね。それもまた王道展開でよきです。

ジーザスが去ったあと、一人ステージで歌うマリアを石像のような目で見下ろすユダの寒々しい表情がよかった。ジーザスに「そのままでいい」と語りかけるマリアは憎いよね。

This Jesus Must Die

急速に勢力を拡大しているジーザス一味はユダヤ教にとって脅威でありジーザスは殺すしかない!とカヤパとアンナスが歌う曲。 相関図。

f:id:snackshk:20210713131902p:plain

公式HPより引用 https://theatre-orb.com/lineup/21_jcs/top.html

カヤパ役ははじめましてのLE VELVETSの宮原さん、細身の黒スーツにきらりと光るスワロフスキーのラインが眩しいわ、にやりと微笑むお顔は悪いわ、低音ボイスは魅惑的だわ響き渡るわ、大変魅力的でございました。アンナス役のアーロン・ウォルポールさんの高音も素敵!

Hosanna

大熱狂でエルサレムへ迎え入れられるジーザスだがこの後の展開を知っているためか表情は暗い。賛美歌のようでもゴスペルのようでもある壮大なサウンドに口ずさみたくなるメロディー、歌いたかったな。滅せよCOVID-19。

「群衆を黙らせろ」と言うカヤパの言葉に聞く耳を持たないジーザス。皆明るいライトで照らされているのに、一人離れた暗いところで黙ってジーザスを見つめ続けるユダ。おいおいお前達正気かよ!?という焦りからか他の弟子たちの間を走り回っては顔を覗き込んでいたが果ては座り込んでしまいどんどん「こりゃだめだ」と言わんばかりの姿勢にうなだれていくユダを見ているとこっちまで悲しくなる。

Simon Zealotes / Poor Jerusalem

ジーザスの熱狂的な崇拝者シモン役は柿澤さん。シモンの曲は本当にいい、一番好きかも。ぐいぐいジーザスを煽り焚き付け民もそれに乗っかるが、肝心のジーザスは冷ややかだ。

一方ユダは下手側の一番高い場所に一人腰掛け、闇のように暗い場所から針のような目でジーザスを見つめている。シモンじゃなくてジーザス見るんですよね、ユダ。「これが本当にお前の望んたことなのか?」と言わんばかりの視線を投げる。ステージ上なのに、オペラグラス越しでなければそこにユダがいることすらわからない暗さ。これは高さのあるセットだからこそできるのかな?

ちなみに柿澤さんは舞台の映像化や過去作のTVドラマでよく見るのでそんな気がしないけど、ほとんど生で見たことなかった。AAA2018だけかも? 最近だとActAgainstAnything2020@配信で宇宙刑事ギャバンを歌う姿を拝見して以来でした。あれはなんだったんですか。DEATH NOTE夜神月もそうだけど、突き抜けた役がお似合い。

f:id:snackshk:20210713140003p:plain

https://spice.eplus.jp/articles/289940
Pilate's Dream

突然登場、ローマ帝国総統ピラトの予知夢。ずっと音楽隊だと思っていた人がピラトだったのでびっくり。戸惑いを感じる歌唱でした。

 

The Templefy

「聖地」であることすら儲けの道具にしようとするがめついエルサレム商人らの前に現れてすぐブチ切れるジーザス。超高音シャウトからの「GET OUT!」

商人が立ち去ったと思えば今度は怪我や病気を治してもらいたがる民たちが次から次へとジーザスの周りに集まってくるが、ジーザスは「自分で治せ!」と一蹴する。

見間違えでなければこの場にいなかったユダは、カヤパとアンナスのところに向かってる最中だったのか。そしてそれを知っているであろうジーザスは全てに対して喚き散らかしたい心境にもなるわな…

 

Everything's Alright - Reprise

マリアのリプライズ。後ろのスクリーンいっぱいに満天の星空が広がるのには何の意味が込められてるんだろう。夜に祈りを捧げていた伝承なり逸話なりがあるのかな。

やっぱり、ジーザスからマリアに対する感情が見えないのが気になる。実はマリアがジーザスを癒やすためではなく、マリアを救うためにジーザスは香油塗ってもらってたんじゃなかろうか? 神の子ジーザスを慰めていると思うことで救われる"罪深い女マリア"の心。何も知らないマリアから「全てうまくいく」「あなたのままでいい」と歌われることでジーザスの心は癒やされていたのだろうか。「愛し方がわからない」と歌うマリアに、伝道師として愛し方を教えようとしていたのかなぁ… 

 

Damned For All Time / Blood Money

ユダの裏切りシーンで1幕が終わる。オペラのような前奏に、なんとも不穏なフルートのメロディ、そして始まるゴリゴリのロック。ジーザスをユダヤ教司祭のカヤパとアンナスに売り渡すユダ。

悲しみや絶望からの密告というわけではなく、開き直っているように見えたユダ。この密告がジーザスを殺すことになると知っているようには思えない。ジーザスから伝道を取り上げたいがためにカヤパとアンナスに縋ったようにも感じられる。「いくらかは鞭で打たれるかもしれないが、それに耐えたら俺たちはまた信仰を守って暮らしていける。教義を広めることは叶わなくても、それで十分じゃないか」。見返りはいらない、褒美も報奨もなにもいらない!だからせめて、地獄に落ちるなんて言わないでくれと歌うユダからは「ただ以前のあんたに戻ってくれればそれでいい」という切実な願いを受け取った。「ずっと俺とあんたで目指してきた夢はここで終わりだ」。

 

***

 

読み返すとあまりにユダのことだけしか書いてなくてびっくりした。2幕はもうちょっとジーザスのことも触れられたらいいな。